旦過市場の生い立ち
現在の旦過市場は大正時代のはじめ、隣接する神嶽川を昇る船が荷をあげ商売を始めたことから始まると言われている。
近所には古くからの住宅街もあり、また、近郊や田川方面からの荷も寄るようになり、自然と市場的な機能を持ち賑わうようになった。
戦中機能をはたさなかった市場も戦後すぐに商人達が再び集まり、生鮮産品を扱う市場として再開された。なかでも現在では河川法によって許可されてない敷地に市民に食料品を供給する重要性と根を張った商売の経過から条件付きで認められてきた店舗は旦過市場の一方の軸として今日の繁栄を築いてきた。
昭和30年を前後して戦後のヤミ市的な建物から現在の店舗へと建て変わり市場組織も旦過商業協同組合、小倉中央市場協同組合が設立され市場としての最盛期を迎えることになった。
その後、徐々に集まった人口のドーナツ化、大型店舗の郊外進出に直面したが、都心の商業施設の拡大に伴う飲食業務向け販売の拡大によって今日まで商店街の危機をのりこえてきた。
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